というわけで、今年もポートレート専科&セミナー行ってきましたよっと!(*゜ω゜)ノ
今日のセミナーは魚住誠一先生・萩庭桂太先生のトークセッション&撮影指導。モデルさんに対する魚住流・萩庭流のアプローチを公開する、という内容でした。
トキスターさん・トキナーさんが協賛についており、一通り講義を受けたあと、レンズやストロボを好きに使ってモデルさんを撮れる、という大変ありがたい企画ですw
わしは前の方で聞いていたせいか、質問がありますか?といきなり2回も振られましたw
ビックリしてかなり挙動不審&意味不明な喋りになってしまったのですが、
『モデルさんにキチンとポージングのオーダーを出すとつまんない絵になる』
『バストアップとか撮ってるときはあんまり気にならなかったけど、全身をメインに撮り出すとものすごいそれが気になる』
といったことを辛うじて伝えました。
それに対する萩庭桂太先生からの答えが感動的。
『ポーズってのは一時停止のことでしょ。もしかしてモデルさんに一時停止してもらってない? 写真ってのは時間を止めることなんだから、自分で時間を止めないとそりゃダメだよね。写真を撮ってるんじゃなくて写真に撮らされてる…』
『みんな個性って初めからもってんのに、どっかで見たカッチョいいもんを再現しようと思ってもそりゃピンとこない…』
うわー、身にしみる…(;´Д`)。
そういえば魚住誠一先生にも
『モデルにポーズを取らせたら負けだ!』
『ポーズをやめて素に戻った瞬間にもう一枚切る。そこに初めからフォーカスをあわせとく』
と言われたことがあります。
道具と自分と被写体の関係、写真とは何ぞや、表現とは何ぞやという所から考えると、物の見方が変わりますね。
ポートレート専科はオーディションを勝ち抜いたアマチュア写真家の方の作品展示もあるのですが、先生方いわく
『中には技術的にどうかってのがあるけど表現がそれを上回っているからオッケー』
というものも確かにあるそうで、わしが見た限りでもそんな感じのがありました。でも確かにいい写真なんすね。
結局道具とかモデルとかフォーマットとか先行事例とか成功体験に基づいて撮ったものは、自分の表現をやってるんじゃなくて、モデルとかフォーマットとか先行事例とか成功体験に「写真を撮らされている」わけですな。
追記。萩庭先生はお弟子さんに、技術は教えてもこれをああ撮れとは教えないそうです。